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私の祖父は、地元の鳥取で土木業の会社を経営していました。母がそこの会社の経理をしており、高校時代の夏休みなど、母の言われるままに、見よう見まねで元帳を作っていました。数字は小さいときから好きだったので、自分が何をしているのかよくわからないながらも、母の手伝いをしていたような気がします。祖父の会社を担当していたのは、公認会計士の先生でした。通っていた高校(鳥取西高校)に近いこともあり、学校の帰りに、母から預かった会計資料を会計事務所に届けたりしていました。これが第一の会計との出会いです。この当時は、公認会計士と税理士の違いがわかっておらず、後々、公認会計士の勉強するときは、会計事務所をするには、公認会計士になるしかないんだろうと思い、公認会計士の勉強を始めることになります(実際は、会計事務所の所長の 9 割が税理士で、1割が公認会計士です)。
大学進学当時( 1982 年)、アフリカの飢餓、飢餓難民という言葉が盛んに新聞に載っていました。進学は漠然と経済学部にしようと思っていましたが、経済学部の中でも、発展途上国の経済を学ぶ「開発経済学」というのが京都産業大学にあるのを知り、大学は京都産業大学を受験することにしました。入学したものの当初の志とは違い、1年生のときは、バイトにサークル活動にと忙しくしていました。大学2年生のとき、経営学部主催の「会計職講座」を受講しました。日商簿記検定3級から始まる講座でした。大学生になってからは、会計の世界とは無縁の生活を送っていましたが、申し込んでみようかな・・・、と軽い気持ちで日商簿記検定3級講座を受講することにしました。すると第1回目の授業で「同志社大学の学生は、3級も2級も一度に合格する、君たちも意欲を持ってやりなさい・・・」と担当した先生が言われました。調子にのって2級も受験すると、3級・2級ともに合格しました。勉強した期間は1ヶ月半程度でしたので、自分には会計のセンスがあるのでは・・・、と思ってしまったのが、この世界に入る一番のきっかけです。ここからが長い受験勉強の始まりです。3級しか受かっていなければ、今頃はどこかの会社のサラリーマンをしていることでしょう。今は40代ですが、振り返ると人生の転機がいくつかあります。

今もそうですが、大半の公認会計士試験受験生は、それようの専門学校に通って勉強しています。大学にも通うのでダブルスクールといいます。私も大学3年生のときから大阪・南方にできた大原簿記学校の公認会計士試験受験コースに通い始めました。京都・上賀茂から約一時間半かけて大阪に週5回通っており、今思えば、よく続いたなと思います。大学3年で単位を取り終えたので、4年のときに大阪市東淀川区の淡路に引っ越しました。ここからだと専門学校へ20分くらいで行けます。専門学校では朝7時30分の早朝答練から授業、自習室での勉強で夜9時までいる生活が毎日続きます。周りのみんなが同じ環境なので、違和感はありませんが、一種独特な変な世界だったと思います。専門学校受講生のうち、3分の1が受験を途中で放棄、3分の1はなかなか受からず転職、残りの3分の1は試験に合格というような割合のように思います。合格率8%の試験なので、試験にむいていれば、「継続は力なり」で合格可能な試験です。

 

24歳のときにクーパースアンドライブランドという外資系の会計事務所に就職しました。監査制度自体、海外からの輸入の仕事で、日本の監査法人は海外の会計事務所と提携しながら業務を進めています。私が就職したところも、今は無くなってしまった監査法人中央会計事務所の国際部門として位置づけられていました。入所当時は、英語をバリバリしゃべれるようになって、いずれは海外勤務と思っていましたが、英語は上達せず、結局33歳のときに退職しました。監査法人自体のことを書きすぎると、守秘義務に抵触する恐れがあるので、詳細は割愛します。ただ私が就職したところは、15人程度の部署で、また担当した会社も海外企業の日本法人(大規模な会社もありますが、多くが中規模程度の会社)が多く、従業員教育、管理体制のあり方等、独立してからも地場の中小企業のサポートに役立つことを学ばせていただきました。

33歳、1997年1月に独立開業しました。1995年に結婚し、大津で家を買ったため、自宅を事務所にしての開業です。開業してもお客さんがあるわけではなく、開業当初は大津市、草津市、京都山科区の金融機関、商工会議所等に開業の挨拶回りをしました。見ず知らずの人にお客さんをすぐに紹介することも考えられず、最初のお客様ができたのはその年の9月でした。初年度のお客様は、計4件でした。公認会計士は、税理士会に申請すれば、税理士資格をもらうことができますが、税務の知識が十分あるわけではありません。特に開業初年度は、間違った回答をすることもあり、お客様は増えてうれしいけど、おっかなびっくりでした。開業して10年を超えました。当初は、大阪まで仕事に行ったこともありますが、会計事務所も多々あります。地域のことは地域のことが良くわかっている会計事務所が対応するのが一番だと思います。大津から離れた所にある事業所からの依頼は、原則、そこの地域の公認会計士・税理士を紹介するようになりました。主として大津地域のお客様に育てていただいた飯野会計事務所。これからも大津の地に根ざした会計事務所でありたいと思います。ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。